産業奨励館と父 [嬉しいプレゼント]
父の記憶は正しかった。
戦前、3歳くらいまで父は産業奨励館(原爆ドーム)のごく近くに住んでいて、印刷業をしていた(旭印刷 と言っていました。)と話してくれたことがありました。窓から手を伸ばすと「産業奨励館」に触れるほどだったと言ってました。
その後、父の姉だけを残して一家は中国の北京に渡り、その為被爆を免れたのですが、父の姉(長沼麗子といいます)は亡くなりました。
私も、祖母に詳細を聞く事も無いまま今に至り、父も既に亡く、気になっていたのですが、昨日出会った方に、この地図を頂きました。
幼児だった父の記憶は正しかったのです。
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