お父さん お疲れ様でした。ありがとう! [訃報]
4月2日12時58分 私の父 長沼有芳が79年の生涯を閉じました。
一昨年の秋、自宅での転倒で右脚を骨折してしまい、手術を受けましたが、人工透析を受けていたためか、骨も脆く治癒出来ませんでした。
その間一度も自宅に帰ることもかなわず、1年半の闘病ののち、力尽きました。
術後しばらくは、歩行のリハビリも頑張り会話も弾んでいました。
入院前よりも多くの会話をする事が出来、良い時間を持てたと思います。
今年の2月頃から意識がはっきりしなくなり、会話をする事無く、亡くなりました。
けれども、意識を失う直前に父の口から聞けたのは、家族への愛の言葉でした。本人にはわかっていたのかもしれません。
生前 父にお心遣いを頂いたすべての方に心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました。
父のお母さん。私の祖母と赤ん坊の私
両親と後ろは母の兄である私の伯父
島根県浜田?父と私 車が大好きでした。ドライブ旅行の時
ヴァン・クライバーンの訃報 [訃報]
日付変わりましたが、昨日、ピアニストのクライバーン氏の訃報を目にしました。
冷戦時代にテキサス出身の青年ピアニストがロシアのチャイコフスキーコンクールで優勝。
ニューヨークでは紙吹雪が舞うなか、凱旋将軍のように華々しいパレードが行われた と当時のレコードライナーに写真と共に出ていました。
幼稚園児だった私は、ニキタ・マガロフのチャイコフスキーに夢中になり、次に買って貰ったレコードが、クライバーンのRCA赤盤でした。裏面はラフマニノフの2番。
これは、聴きまくりました!冒頭からフィナーレまで歌えるほどに夢中に聴きました。テンポも音色も全てがかっこよくて、チャイコフスキーもラフマニノフもクライバーンが最高! と幼稚園児は大興奮してました。
クライバーン氏はその後活動休止していたようですが、数年前に見掛けた記事に、「自分は、いまだに子供っぽくて、生まれてから今に至るまでの持ち物、おもちゃ等も全て手放せず、トランクに入れて持ち歩いている。」と語っていました。
非常に共感する記事で、私もおかげでゴミ屋敷住まい(T-T)
幼稚園児だった私が彼の演奏に惚れたのも、そんなワケでしょうか?
過去に書いたブログです。↓
ヴァン・クライバーン:
URL:
http://garbo-pfcello.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/m/article?name=2012-04-02&stq=session%3A%3Asonet_blog%3A%3A677565899b4a38be8f9ba3a963d51aa2
冷戦時代にテキサス出身の青年ピアニストがロシアのチャイコフスキーコンクールで優勝。
ニューヨークでは紙吹雪が舞うなか、凱旋将軍のように華々しいパレードが行われた と当時のレコードライナーに写真と共に出ていました。
幼稚園児だった私は、ニキタ・マガロフのチャイコフスキーに夢中になり、次に買って貰ったレコードが、クライバーンのRCA赤盤でした。裏面はラフマニノフの2番。
これは、聴きまくりました!冒頭からフィナーレまで歌えるほどに夢中に聴きました。テンポも音色も全てがかっこよくて、チャイコフスキーもラフマニノフもクライバーンが最高! と幼稚園児は大興奮してました。
クライバーン氏はその後活動休止していたようですが、数年前に見掛けた記事に、「自分は、いまだに子供っぽくて、生まれてから今に至るまでの持ち物、おもちゃ等も全て手放せず、トランクに入れて持ち歩いている。」と語っていました。
非常に共感する記事で、私もおかげでゴミ屋敷住まい(T-T)
幼稚園児だった私が彼の演奏に惚れたのも、そんなワケでしょうか?
過去に書いたブログです。↓
ヴァン・クライバーン:
URL:
http://garbo-pfcello.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/m/article?name=2012-04-02&stq=session%3A%3Asonet_blog%3A%3A677565899b4a38be8f9ba3a963d51aa2
ローレンス・マクガレル先生の御帰天 [訃報]
27日の朝 恩師であるローレンス・マクガレル先生が亡くなられました。
昨夜はお通夜のミサが広島世界平和記念聖堂で行われ、参列いたしました。
1947年インディアナ州に誕生され 65年にイエズス会入会 72年来日 78年からエリザベト音大に来られました。
私は先生に在学中の四年間ピアノを習いました。初めての出会いは18歳です。
大きな靴を履いて、穏やかで暖かい目をしておられました。いつも泰然と静かで、感情的な姿は見たことがありません。
「練習するときは、とにかくゆっくりと、静かに、目を閉じて集中して」と教えて下さいました。
思いだしました。
私は今に至るまで集中力に乏しく、雑念だらけです。先生の教えを思い出し 修行したいです。
昨夜のミサでは先生の良いお話を伺えました。
禅の修行をなさり、自室に畳を一枚敷いて瞑想なさっていたそうです。
日本と日本人を愛して下さり、闘病も「日本で最後まで」と。
日本語にも漢字にも非常に明るい方でした。
ホスピスに入院中 一度だけお会い出来ました。お寺に嫁いだ友人が「先生の事を宗教は違うけど、毎日 仏様に祈っています」と言うと 「神様は同じ、天国は一つです」とおっしゃいました。一神教のはずですが、日本人の言う神様はやおよろず。先生は良く理解しておられました。
別れ際 「また 会いましょう 」と握手して下さいました。
マクガレル先生 天国から見守って下さい。
キャンディーズ [訃報]
去る4月21日 キャンディーズのスーちゃん こと女優の田中好子さんが亡くなりました。
ツイッターで、流れてきたこのニュースに、びっくりして事実とは信じられずニュース元を探したり、たずねたりしましたが、事実でした。
闘病なさっていたことも知らずにいました。
スーちゃんは、まだ小学生だった私が、一番最初にファンになったアイドルでした。
きっかけは思い出せませんが、テレビで見たのでしょうね。
当時はキャンディーズの中で、一番親しみやすく、美しいお姉さんだと思いました。
気になってくると、どんどん知りたくなりテレビ欄をチェックして彼女たちの出演番組を追いかけたり、ラジオのFMを当時私が持っていた唯一のオーディオ機器である、ラジカセで録音したりしました。
あの頃は家人に頼んで、静かにしてもらって外部マイクからテレビの音声のみを録音していましたね。
今思えば、すでにキャンディーズの解散が決まった後でしたから、メディアの露出も多かったんだと思います。
5枚組みのLPレコード 『candies 1676 days 』を頼み込んで買ってもらいました。
クラシック以外は音楽ではない などと言っていた生意気な子供をこんなに変えてしまったのは、他でもないキャンディーズでした。
毎日毎日レコードを聴き、ソロを聴いているうちに スーちゃんよりも美樹ちゃんのとりこになりましたが、
美樹ちゃんは、子供だった自分には少し地味な印象があったのかもしれません。
よくみると、大変な美貌で、知的で、ハスキーがかった声も魅力的 素晴らしいスターの要素をもっていました。
でも、華やかで、甘い声のランちゃんも素晴らしく、結局3人が素晴らしいからとりこになったのだと思います。
当時は当然だったのかもしれませんが、彼女たちは言葉遣いも丁寧で、上品そのものでした。
トップアイドルでありながら、傲慢さはみじんもなく、「愛」を発散していたように思います。
『みごろ、たべごろ、笑いごろ 』のコントなど涙を流して笑ったものです。
スーちゃんは、いつもとんでもない着ぐるみを着せられていましたね。スー吉だったかな・・・・・
「ラン!ガバるのよ!」の声が忘れられません・・・・・
まだ、広島の廿日市市、宮島の対岸にあたる海沿いに遊園地ナタリーが存在していましたが、そこにザ・ベストテンの中継で彼女たちが来たことがあります。私はごく近所に住んでいるのですが、夜だったこともあり、行くことはできませんでした。でも、よく覚えています。「今、あのキャンディーズが同じ空の下にいるんだー!」と
とにかく1977年4月4日の あのファイナルカーニバルまで、追い続けていました。
テレビの放送も見たし、ライヴレコードも買ったし・・・・・追体験でしかできないファンになる前に出されたアルバムもほとんど買い揃えました。
解散後数年たって次々と復帰してきたときも 嬉しかったですが、もはやキャンディーズではありません。
最後に美樹ちゃんがソロシンガーで帰ってきた時は、すぐにレコード買いました。
でも、結局引退・・・・・・
そして、いつの間にか30年も時が過ぎたのですね。しばらく忘れていましたが
数年前に出された 限定生産BOX「CANDIES PREMIUM」キャンディーズ12CD 1DVD を購入して、
少しも色あせない歌声にまた夢中になりました。
そして、このたびの訃報
自分の中で、何かが終わったと思いました。昭和なのか、子供時代の情熱なのかわかりませんが・・・・・
ツイッターで、流れてきたこのニュースに、びっくりして事実とは信じられずニュース元を探したり、たずねたりしましたが、事実でした。
闘病なさっていたことも知らずにいました。
スーちゃんは、まだ小学生だった私が、一番最初にファンになったアイドルでした。
きっかけは思い出せませんが、テレビで見たのでしょうね。
当時はキャンディーズの中で、一番親しみやすく、美しいお姉さんだと思いました。
気になってくると、どんどん知りたくなりテレビ欄をチェックして彼女たちの出演番組を追いかけたり、ラジオのFMを当時私が持っていた唯一のオーディオ機器である、ラジカセで録音したりしました。
あの頃は家人に頼んで、静かにしてもらって外部マイクからテレビの音声のみを録音していましたね。
今思えば、すでにキャンディーズの解散が決まった後でしたから、メディアの露出も多かったんだと思います。
5枚組みのLPレコード 『candies 1676 days 』を頼み込んで買ってもらいました。
クラシック以外は音楽ではない などと言っていた生意気な子供をこんなに変えてしまったのは、他でもないキャンディーズでした。
毎日毎日レコードを聴き、ソロを聴いているうちに スーちゃんよりも美樹ちゃんのとりこになりましたが、
美樹ちゃんは、子供だった自分には少し地味な印象があったのかもしれません。
よくみると、大変な美貌で、知的で、ハスキーがかった声も魅力的 素晴らしいスターの要素をもっていました。
でも、華やかで、甘い声のランちゃんも素晴らしく、結局3人が素晴らしいからとりこになったのだと思います。
当時は当然だったのかもしれませんが、彼女たちは言葉遣いも丁寧で、上品そのものでした。
トップアイドルでありながら、傲慢さはみじんもなく、「愛」を発散していたように思います。
『みごろ、たべごろ、笑いごろ 』のコントなど涙を流して笑ったものです。
スーちゃんは、いつもとんでもない着ぐるみを着せられていましたね。スー吉だったかな・・・・・
「ラン!ガバるのよ!」の声が忘れられません・・・・・
まだ、広島の廿日市市、宮島の対岸にあたる海沿いに遊園地ナタリーが存在していましたが、そこにザ・ベストテンの中継で彼女たちが来たことがあります。私はごく近所に住んでいるのですが、夜だったこともあり、行くことはできませんでした。でも、よく覚えています。「今、あのキャンディーズが同じ空の下にいるんだー!」と
とにかく1977年4月4日の あのファイナルカーニバルまで、追い続けていました。
テレビの放送も見たし、ライヴレコードも買ったし・・・・・追体験でしかできないファンになる前に出されたアルバムもほとんど買い揃えました。
解散後数年たって次々と復帰してきたときも 嬉しかったですが、もはやキャンディーズではありません。
最後に美樹ちゃんがソロシンガーで帰ってきた時は、すぐにレコード買いました。
でも、結局引退・・・・・・
そして、いつの間にか30年も時が過ぎたのですね。しばらく忘れていましたが
数年前に出された 限定生産BOX「CANDIES PREMIUM」キャンディーズ12CD 1DVD を購入して、
少しも色あせない歌声にまた夢中になりました。
そして、このたびの訃報
自分の中で、何かが終わったと思いました。昭和なのか、子供時代の情熱なのかわかりませんが・・・・・
GOLDEN☆BEST キャンディーズ コンプリート・シングルコレクション
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: Sony Music Direct
- 発売日: 2011/06/08
- メディア: CD
巨星逝く [訃報]
去る2009年6月25日 マイケル・ジャクソンが亡くなりました。
大々的に復帰コンサートを行うという報道を聞いていたので、寝耳に水でしたが、
なんとなくすんなりと、「彼も長生きは無理だったのか」と納得していました。
マイケルについては、今更、言うまでもありませんが1979年~80年ころでしょうか?記憶が曖昧ですが、スズキの原付バイク「ラブ」のコマーシャルに出ていたのを見たのが、最初の出会いだったと思います。
流れていた曲は「今夜はドントストップ」? 軽快なダンスと声、はにかみながらウインクするマイケルの姿を今でもはっきり覚えています。
モンスターアルバム「スリラー」のPVもよく見ていました。本当に素晴らしかった。
あまりに売れすぎて、巨大になりすぎ、いつも追い掛け回され、何を語っても歪曲して報道される。いつも間にかマイケルの実像が見えなくなり、色々なスキャンダルにも見舞われ、今となっては何が真実なのか、神のみぞ知るでしょうが、あの見事な姿を見ることが出来ないのだけは事実ですね。
スリラーが大爆発したころ、FMの深夜番組で何週にもわたってマイケルの特集をしました。
私は、全て録音して聴きましたが、少年のころの歌声は活発で繊細で美しかったですね。
変声期にかかったころのアルバムも名曲ぞろいで、今でも聴き入ってしまいます。
間違いなく、天賦の才を存分に与えられた人でしたが、心から幸せだったかどうかは疑問です。
いつもそうですが、人は亡くなってはじめて、その人のほんとうの姿を見出そうとするのでしょうか。
直接口で語れなくなった瞬間から、雄弁に本音を語りだすような気がします。
あのときのあの発言は、こういう意味だったのか。
今ならわかる。
生きているうちにわかりあいたいものですね。
大々的に復帰コンサートを行うという報道を聞いていたので、寝耳に水でしたが、
なんとなくすんなりと、「彼も長生きは無理だったのか」と納得していました。
マイケルについては、今更、言うまでもありませんが1979年~80年ころでしょうか?記憶が曖昧ですが、スズキの原付バイク「ラブ」のコマーシャルに出ていたのを見たのが、最初の出会いだったと思います。
流れていた曲は「今夜はドントストップ」? 軽快なダンスと声、はにかみながらウインクするマイケルの姿を今でもはっきり覚えています。
モンスターアルバム「スリラー」のPVもよく見ていました。本当に素晴らしかった。
あまりに売れすぎて、巨大になりすぎ、いつも追い掛け回され、何を語っても歪曲して報道される。いつも間にかマイケルの実像が見えなくなり、色々なスキャンダルにも見舞われ、今となっては何が真実なのか、神のみぞ知るでしょうが、あの見事な姿を見ることが出来ないのだけは事実ですね。
スリラーが大爆発したころ、FMの深夜番組で何週にもわたってマイケルの特集をしました。
私は、全て録音して聴きましたが、少年のころの歌声は活発で繊細で美しかったですね。
変声期にかかったころのアルバムも名曲ぞろいで、今でも聴き入ってしまいます。
間違いなく、天賦の才を存分に与えられた人でしたが、心から幸せだったかどうかは疑問です。
いつもそうですが、人は亡くなってはじめて、その人のほんとうの姿を見出そうとするのでしょうか。
直接口で語れなくなった瞬間から、雄弁に本音を語りだすような気がします。
あのときのあの発言は、こういう意味だったのか。
今ならわかる。
生きているうちにわかりあいたいものですね。